kainownの絵について思うこと

色んな発見を書き留めておく

教わることに対する対価は”やる気”

最近色々あって思うところあったので、愚痴の記事です。

 

めちゃくちゃ長いので結論だけ先に書くと

教わる側はやる気をアピールして先生とコミュニケーションをとろう。ということが言いたいんですけど、気になる人は最後までお付き合いしてくれたらなと思います。

 

僕は中3から美術予備校に通っていて、今でいうところのパワハラまみれの世界で絵を学んできました。

今でもある種トラウマのようになっていることがあり、パワハラは良くないものだと思っています。パワハラ良くない。ダメ、絶対。

 

それからなんと15年近くの時がたち、僕も絵を教える機会が出来ました。

教えるのはすごく難しいです。

「自分がこのくらいの画力だったとき、これを言われて勉強になったな。これを言ってあげよう。」とか「絵を描く以前に絵に対する向き合い方を教えてあげよう。」だったり、色々な志があり1年頑張ってみました。

 

自分が容易に超えられたハードルでも他人にとってはそうではないということ。

昨日の記事でも少し言及しましたが、全員がガチでやってるわけではないということ。

正直色んなことを失敗したなと思います。

 

とある教育機関で教えていたので対価は学校から支払われます。

その対価のぶんだけは、その対価以上に何か生徒に実になることを教えてあげたいと考えていました。

学校から支払われる金額の10倍くらいの知識を生徒に提供しようと思ってましたが、今思うとそもそもそれが間違いでした。

 

僕が教えていた場所はガチで絵でメシを食いたい人が来る場所ではなく、おそらく「美大は行けなかったし、就職したくないし、絵が描きたいからこの専門に行ってみよう」くらいの感覚で来ている生徒が多い場所でした。

その子たちに対して「絵で食いたいならこれは理解してないとダメだよ」なんていう言葉は届くはずがなかったのです。

みんなが求めていたことは楽しいお絵かきの時間で、技術ではありませんでした。

 

 

授業が始まる時間にモチーフを用意することが出来ない。

挨拶なんかしなくていいから始まるときにモチーフを準備してくれという言葉はただの一度も届くことはありませんでした。

 

鉛筆をあらかじめ削っておくことが出来ない。

前述のことがあったので言及しませんでしたが、僕は毎日学校で鉛筆を削ってから予備校に行ってたので衝撃でした。描く時間が減るじゃん。

 

わからないところを明文化することが出来ない。

これは仕方ないかもしれないけど、考えることすらしようとしてない。

 

 

自分の育ってきた環境の周りにいた人と比べると、衝撃でした。

こんな人がいるのかと思いました。

ちゃんと教えようとすると、そういったところから言う必要があり、最初はそういうところにも言及していたのですが、そうすると学校側からめちゃくちゃクレームが来ました。

僕は正直「教わる以前の問題なんだけどな」と思ったんですけど、やめてしまうと教えることが出来なくなってしまうので他の授業を見学させてもらいました。

 

他の授業を見に行って更に衝撃でした。

他の先生たちは何も教えようとしてなかったのです。

作品を見て「ここはこうした方がいいかもね~」みたいなのを一言いうだけで、実際に直させて確認するということはしていませんでした。

僕はあまりに衝撃だったので、授業が終わって他の先生に質問をしてみました。

 

「先生が生徒の席に座って、絵を直すことはありますか?」

「ありません。生徒の作品じゃなくなってしまうので。」

 

この回答はめちゃくちゃビックリしました。

今作っているのは作品ではなく、練習のための習作であるということ。

技術を伝えるためには間違った捉え方をしていたり、描くのをサボっている箇所を指摘する必要があり、「これを直すとこんなに絵が良くなるよ」と示すために生徒の席に座ることは必須事項だと考えていたからです。

事実、僕が通っていた予備校ではめちゃくちゃ先生に座って描いてもらいました。

先生の描き方の見様見真似から上達していったのです。

 

見てマネをするということのハードルを越えられない人に、マネをする気がない人に教えているということをそこで初めて理解しました。

けれでもそこで初めて、僕の中にある仮説が生まれました。

 

「給料に対する対価として、金額に対する正しい教え方はこれなのでは?」

 

というものです。

技術を伝えるに値する給料をもらっていないので、適当に雑談して一言アドバイスするだけが正しい対価だということです。

そう思うと全てがしっくり来ました。

僕も雑談をしてたまにアドバイスをするだけにしてから学校からクレームが来ることが無くなったのです。

 

例えば美術予備校の場合、ゴールが決まっています。

希望する美大に入れる実力を身に着けさせることが至上命題です。

それに向かって僕も精一杯頑張ったのですが、先生から見て努力が足りていないと感じたときに冒頭のパワハラのようなことになっていたのだと、今は思えます。

申し訳ないのもありますが、結果として合格したのですごく良かった。

 

でも今回の場合は、ゴールは定まっていません。

就職はするけど普通の企業で良いのです。

その場合の先生がするべきことは、ただ前に座っていることだけだったのです。

 

技術を伝えるのは、対価としてやる気を見せる生徒だけで良かった。

先生側からやる気を出させるのではなく、生徒からやる気を差し出した場合に、ほんの少しだけ技術を提供すれば良かったのです。

 

学生の頃は僕もそんなにやる気がある生徒ではなかったと思うんですが、やっぱりやる気のない生徒に教えるのはそれだけで苦痛だしね。

やる気がある場合は教えてて楽しいし。

熱血モードのときに1人合わないなと思われたらしく、後期の僕の授業全部来なかったやつとかいたし。

 

やる気のない人には何も教える必要ないと、改めて思いました。

頼ってきたときに少し教えるだけでいいということが分かっただけで少し収穫かな。