kainownの絵について思うこと

色んな発見を書き留めておく

自己肯定感を上げたいので自分探しをする話

ありがたいことに仕事を立て続けに頂け、7月中くらいまではスケジュールが埋まっている。

僕は筆が遅いので請け負う枚数が少ないということもあるんだけど。

 

何はともあれこの状況を目指して、何年間か絵のことだけを考えて生きてきたので目標の1つは達成できたことになる。

絵に関してはここ数年、本当に頑張ったと自分を誉めたい。

自分が描いている最中の絵を見て、ふと「商品みたいな絵だな」と思うことが出てきた。

 

けれどそれはそれとして。

最近どうにも生きていくのが向いてない性格だということを自覚した。

昨年10月に息子が産まれ、33歳にもなったのにいい加減この性格を直したいなと考えるようになった。

 

 

Twitterで絵をあげると誉めてくれる人が多いのに、誉め言葉を素直に受け取れない。

この人は僕の絵を誉めることで、どんなメリットがあるんだろうかと思ってしまう。

ひょっとして僕に高額で壺を買わせようとしているんだろうか。

 

配信を見に来てくれる人たちは僕に何を期待しているんだろうと考えてしまう。

添削を依頼してくれる方は僕の絵に対する考え方を知りたいんだろうなとは思う。

けどそれ以外の人たちは何かを成したわけでもない僕の考えていることなんか、知って何になるというんだろう。

 

街を歩いていて、視界に入る人全員が僕のことを嫌いだと思ってしまう。

実際は無関心で風景の一部にしか見えていないんだろうけど、社会そのものに嫌われていると思う。

 

他人の好意が怖い。

理由は分からないけど僕は他人に嫌われてしかるべき人間で、好かれる理由がないと思う。

嫌われている方が気持ちが楽で、納得する感覚がある。

 

 

僕のような性格の人に生きていくのは向いてない。

これは間違いない。

向いていないのは分かっているんだけど、最近息子のオムツを替えていて、ミルクをあげていて、お風呂に入れていて「こんな性格の父親って可哀想だよなぁ」と思うようになった。

 

「kainownさんの描く絵、良いですね!」

「お前もしかして壺売ってこようとしてる?」

 

こんな会話をしそうになってしまう父親の背中は息子に見せちゃダメだなと考えるようになった。

僕みたいなナチュラルボーンネガティブになって欲しくないなと思う。

 

 

それで1つずつ自分の性格を点検していくことにした。

素質はあったにせよ何か原因があって、こんなに拗れてしまったはずなのだ。

色々と思い返していて、最初に自分の気持ちに蓋をしようと決めた瞬間があったのを思い出した。

 

高校3年生のとき、美術予備校でのことだった。

中学2年生から僕は美術予備校に通っていて、タマグラを目指していた。

イラスト界隈ではさいとうなおき先生が有名どころだけど、デザイナーやアートディレクターにも有名人がいっぱいいる名門中の名門だ。

 

今思えば高校3年生の頃の僕はちょうど受験の合格ラインよりもほんの少し下くらいの画力で、課題が合えば受かるかもしれないくらいの実力だった。

 

予備校の先生は今はもう亡くなっていて、予備校も無くなってるんだけど、

当時50歳くらいでそれはそれは多彩なパワハラを僕に仕掛けてきていた。

 

金属の質感を表現するのに無駄なタッチを入れすぎる。

花びらの柔らかさを表現出来てない。

水の透明感を出すためにもっと水に透過した物体を描かないといけない。

手の皮膚の柔らかさ、手の骨のゴツさが絵に反映されてない。

画面から迷いが透けて見える。

それらのアドバイスと一緒に人格否定を混ぜ込んで色々な嫌味を言われた。

 

他にも色々あるんだけど、当時のデッサンを見てみると言われていたことは理解出来る。

絵に関して先生が言っていたことは合ってたと思う。

予備校は生徒を希望の大学に合格させる場所だ。

目標のレベルが高ければ高いほど、逆算して「〇月の時点ではこのくらい描けていないなら合格は難しい」というのは明白になる。

 

美大受験をしていない人にはわからないかもしれないが、適当に描いて受かるものではないのだ。

その人がどのくらい絵を描いていて、どのくらい何かに気付いてきたかは僕でも絵を見れば分かる。

「受かる絵」「受からない絵」が存在していて、フォーマットの決まっている受験絵画では明確だ。

 

 

おそらく先生は焦っていたのだ。

高い授業料をもらっている以上、アドバイスを言っても言っても改善しない出来損ないの生徒を合格させることが仕事だ。

普通に言っても聞いてる気がしない。

どんどんアドバイスの言葉がきつくなる。

添削をしたり、大学の先生をしたり、人に教える機会が出てきた今ならなんとなく理解出来る。

 

 

言って理解してくれる人には優しく教えられる。

言うだけで理解して、添削のたびに改善してくる今FANBOX会員になってくれてる人たちは本当にすごいと思う。

僕は言われただけではわからなかった。

 

当時の僕は絵を描いても上達している気がせず、絵を描くのが嫌いになっていた。

描いたものを見せたら怒られるし。

楽しくなかった。

でも描かなければこのままなのだ。僕には絵しかないのに。

15歳~18歳まで義務感だけで絵を描き続けた。

 

 

結果的には運良く合格することは出来たのだけど、最初に性格が歪んだのはここだったように思う。

何年か前に先生が亡くなったと聞いて、あんなに嫌味を言われていたのに寂しく思った。

 

先生のことは好きではなかったけど、気付いたら絵に対する姿勢は面白いくらいそっくりになっている。

自分の中の「良い」「悪い」の定規がしっかりあって。

良くするためには努力は惜しまず、悪いものを押し付けてくる人にはものすごい反発をしてしまう。

悪いものを自分で生み出すのがいくら積まれても出来ない。やりたくない。

 

 

もし先生に今の僕の絵を見せたら何て言われるだろうか。

誉めてくれるんだろうか。また貶されるんだろうか。

先生の基準で「良い」になっていれば、誉めてくれるんだろうな。

 

その定規がブレないことだけは痛いほど知ってる。

自分の定規を作ることが絵が上手くなるということなのだから。

 

 

青春全部をぶちこんで作った定規が今の僕を支えていることは間違いないんだろうけど、少し生きるのが難しくなった気がする。