kainownの絵について思うこと

色んな発見を書き留めておく

腐った中身を出す話

前回、気持ちに蓋をするきっかけになる話をした。

 

蓋をすることは楽で良い。

自分が周りの否定を聞くことがなければ、ずっと平穏な気持ちでいられる。

自分が何も言わなければ、好かれることも嫌われることもない。

自分の中だけが少しずつ腐っていく。

少しずつ腐っていって15年も経ってしまうと中身はすごい匂いがする。

腐りきった中身はとても人様に見せられるものではないと思う。

 

けど、少しでも中身の風通しを良くしようと思い立って昨日からブログを再開した。

明日も書くかは分からない。そもそも絵描けって話だし。

 

昨日ブログを書き終わってすごく悩んだ。

「これTwitterにリンクするのか・・・?」ということだ。

僕のTwitterのフォロワーはほとんどが絵目当てで、僕自身に興味のある人なんかほぼいない。

つぶやけばつぶやくだけフォロワーは減る。

統計をとってみるとつぶやかない日は平均6人、つぶやく日は平均15人、多ければ50人くらい減る。

社会が敵だと思っている僕としては納得の結果だ。

「あなたの絵は好きだけど人間は好きではない」人が大多数であるという社会からのメッセージだと思って受け取っている。

 

 

 

まぁそんな状態ではフォロワー数が絵描きの戦闘力として見られることもある以上、現状のままではつぶやけばつぶやくだけ損なのだ。

それでもリンクしてみた。

 

 

今日はその何故リンクしたかを話してみよう。

 

普段、絵をアップしたときによく思うことがある。

「この絵は僕が描かなくてもいい絵なんだろうな」ということだ。

僕は絵描きとしてのキャラ付け(画風と言い換えてもいい)がまだまだ甘く、僕じゃないと描けない絵というのは未だに1枚も描けてないと思っている。

 

人生を通して取り組む課題のような気もするのだが、いまだに手掛かりすら掴めていない。

手掛かりすら掴めていないような理由は明らかだ。

 

僕の腐った中身を見せないように、大多数のヲタクが共感しそうなテーマを選び、

「これなら君たち食べれるでしょ?」というメッセージと共に提供する。

計算通り数字がつく。

計算通りつかなければ、僕の画力に問題があったのか、選んだテーマが共感出来ないものだったのかを考え直す。

原因はこのサイクルそのものであり、

このサイクルそのものがここ数年の「kainown」だった。

 

これは二次創作との相性がすごく良く、修行さえ積めば誰がやっても同じような結果が出ると思う。

何より仕事が来て生活出来るようになるし、数字がつくのは嬉しい。

伸びていく数字を見ているときの気持ちはゲームで大ダメージが出たときの爽快感が最も近い気がする。

 

ウル4で言えば春風ループを完走して春爛漫まで入れたとき、

OWで言えばナノバイザーを決めているとき、

スプラトゥーンで言えば相手のバリアをトルネ1つで破壊したとき、

APEXで言えば300メートル離れた相手にクレーバーが当たったときのような爽快感だ。

病みつきになる爽快感がある。

 

しかし、ふとそれを見ていて感じる。

「この絵が生まれていなくても、誰も困らなかっただろうな」と。

 

 

 

話は変わるが「だが、情熱はある」というドラマがある。

南海キャンディーズ山里とオードリー若林、2人の芸人としてのルーツを描くドラマで、彼ら2人の大ファンである僕は毎週楽しみに見ている。

 

その中で当時売れない芸人である若林が、相方の春日に本音を吐露するシーンがすごく印象に残った。

www.youtube.com

 

初見で見たときはボロボロ泣いた。

僕が絵を描きながらずっと感じている苦しさで、ダメな絵を描いてしまったとき、絵が評価されなかったとき、イラコンで落選したときの気持ちそのもので、同じように感じている人がいるのかと驚いた。

(若林さんに比べると全然ぬるいかもしれないけど。。。)

 

しばらく経って、僕と若林の何が違うのかと考えた。

この気持ちそのものは理解出来る。似たような気持ちになることもある。

けれど、1つだけ絶対に違う場所があった。

 

僕が若林だったとして、春日に言うことが絶対に出来ないと思ったことだった。

 

若林も「言いたくない」と前置きして言っていたセリフではあるのだが、僕にはこの本音を外に出すことは絶対に出来ない。

僕は本音を言うことによって起きる摩擦が怖いのだ。

本音を、僕が描いた渾身の絵を否定されるのが嫌なのだ。

 

若林も山里も、ラジオや著書で本音を話してくれる(気がする)。

僕はそれが聞きたくて、彼らが何を考えて生きているのかを知りたくて、

毎週毎週ラジオを聞く。本を読む。

 

彼らに人間としての魅力があるからその本音が面白いというのは十分分かっている。

僕に魅力がないことも分かっている。

でも本音を全く言わなかったら、中身をさらけ出さなかったら、誰も僕を見てくれないのだ。

本音を言えることは人間としての強さで、尊敬出来る。

 

中身をさらけ出した絵を描けると、その人ならではの絵になる。

でも本音を言うことすら避けてきた人間が、いきなり絵にするのはハードルがものすごく高い。

 

だから、僕に興味がある人しか見ないブログなら、

伸びなくてもショックを受けないブログなら、

本音を見てもらえるかなと思った。

いずれ僕の中身をさらけ出した絵を描くための練習だ。

 

今日も勇気を出してリンクしよう。

多分Twitterのフォロワーは20人くらい減るだろう。

それでも47000人もいれば1人くらい、本音に興味を持ってくれる人が増えるかもしれない。